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2013年7月19日 (金)

【八重の桜 感想】 松平容保という人

会津藩が悲劇に見舞われたのは、松平容保という人の個性によるところが大きいと思います。

もし、ダメな藩主なら、藩士たちが「こんな藩主のために死ねない」と思って、退散したかもしれないし、あるいは、勝ち目がなくなった段階で、さっさと家老を切腹させて、ことの収集を図ったかもしれない。
また、優れた藩主であれば、徳川慶喜のごとく、もっとスマートに対処したであろうし、あるいは、自ら腹を切ったかもしれない。
結局、中途半端にいい藩主ということが悲劇の原因です。

松平容保という人は「まじめで実直な人」というイメージだったのですが、藩が全滅するかもしれない全面戦争のリーダーとしてはどうっだったのでしょうか?

◆いい人だった
 多分、平時のリーダーとしては最高の人で、軸はぶれず、使命感は強く、まじめで部下思い。
 部下たちに、「この殿のためなら死ねる」と思わせるだけのオーラはあったと思う。
 ただ、この類の人には「自分は非常時のリーダーには不向き」という認識はなく、非常時も頑張ってしまうし、部下も支えてしまう。

◆忠誠心の高い部下を持つということの意味を理解していない
 家訓にある、徳川宗家に対して「若し二心を懐かば、すなわち、我が子孫にあらず」は、そのまま松平容保と家臣との関係にも当てはまります。
 部下たちは、主君に「二心を懐く」ことを許されていない。
 部下に死ねと命じれば、部下は死ぬ。
 だからこそ、部下を死なせないためにはどうすればいいのかを考える義務が容保にはある。
 彼はそのことをどのように考えていたのか?

◆本質を見る努力をしない人
 江戸時代末期の京都は当時の政治に中心地で、様々な情報が最も集まる土地だった。
 松平容保も様々な情報に接していたはずでえある。
 結局、そこで何をしていたのか?
 鎮圧している尊王攘夷運動がなぜ起こったのか、という問題を考えたことがあったのか?
 「国の在り方を変えなければ欧米列強の植民地になってしまう」という危機感が起こした活動だったのに、「国の在り方」についてどのように考えていたのか?
 「国の在り方を変える」運動なのだから、江戸幕府的なものは徹底的に排除されるはず。会津藩も「江戸幕府的なもの」に含まれることに気が付いていたのか?
 徳川慶喜はそれが分かっていたから、さっさと江戸城を明け渡した。
 松平容保は自分はどのようにすべきと考えていたのか?

◆情報収集の努力をしない人
 本質を見たいと思わないのだから、情報も必要ない。
 「八重の桜」でも、松平容保が他藩の情報収集・分析に熱心なシーンも出てこない。
 彼の価値観は、「江戸幕府に忠義を尽くす」で固まっていて、他の考えを取り入れる必要性を理解してなかったのかもしれません。
 もしかしたら、松平容保は部下から上がってくる情報を聞くだけで何も考えていなかったかもしれません。


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