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2013年7月

2013年7月27日 (土)

【書評】「王城の護衛者」 松平容保という人(その2)


大河ドラマを見て、松平容保という人を知りたいと思って読んでみたのだが、一番知りたかったことが書いてなくて、残念。

江戸からの立ち退きを命ぜられてから、会津戦争が始まるまでの間、松平容保が自分の立場、戦争の回避方法について、どのように考え、どのような手を打ったのかについて知りたかったのだが、その部分はスルー。

単に「嘆願状を数十通も書いた」としか書かれていないから、本当に嘆願状を書き連ねる以外はやっていないかもしれないと思ってしまった。

ただ、「松平容保も会津藩も、まじめなだけで、政治を分かっていない」という評価は司馬遼太郎と同じであることを確認できたので、その点については収穫だった。

司馬遼太郎、曰く、

  • 容保は無能すぎるほどの沈黙を黒谷本陣でつづけていた。この男とその重臣は、宮廷に関する裏面工作がまったくできなかった。
  • 京の会津藩の機構はこれ(薩長同盟)を探知できなかった。黒谷にいた容保はあいかわらず薩人を、「孝明帝の忠臣」という点で同志だと信じていた。
  • 「一時は策謀が勝つ。しかしやがては至誠なるものが勝つ」が、この天性、政治的感覚が欠けていた男がもっている唯一の政治哲学というものだった。この政治哲学によって容保は足掛け七年の京都生活を送り、いささかの大過もなかった。
  • 普通の身分に生まれていれば、学者にでもなっていただろう。学者として特にすぐれた創造性はもたなかったかもしれないが、先哲の学問を祖述できるほどの程度の学者にはなっていたはずだった。

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2013年7月19日 (金)

【八重の桜 感想】 松平容保という人

会津藩が悲劇に見舞われたのは、松平容保という人の個性によるところが大きいと思います。

もし、ダメな藩主なら、藩士たちが「こんな藩主のために死ねない」と思って、退散したかもしれないし、あるいは、勝ち目がなくなった段階で、さっさと家老を切腹させて、ことの収集を図ったかもしれない。
また、優れた藩主であれば、徳川慶喜のごとく、もっとスマートに対処したであろうし、あるいは、自ら腹を切ったかもしれない。
結局、中途半端にいい藩主ということが悲劇の原因です。

松平容保という人は「まじめで実直な人」というイメージだったのですが、藩が全滅するかもしれない全面戦争のリーダーとしてはどうっだったのでしょうか?

◆いい人だった
 多分、平時のリーダーとしては最高の人で、軸はぶれず、使命感は強く、まじめで部下思い。
 部下たちに、「この殿のためなら死ねる」と思わせるだけのオーラはあったと思う。
 ただ、この類の人には「自分は非常時のリーダーには不向き」という認識はなく、非常時も頑張ってしまうし、部下も支えてしまう。

◆忠誠心の高い部下を持つということの意味を理解していない
 家訓にある、徳川宗家に対して「若し二心を懐かば、すなわち、我が子孫にあらず」は、そのまま松平容保と家臣との関係にも当てはまります。
 部下たちは、主君に「二心を懐く」ことを許されていない。
 部下に死ねと命じれば、部下は死ぬ。
 だからこそ、部下を死なせないためにはどうすればいいのかを考える義務が容保にはある。
 彼はそのことをどのように考えていたのか?

◆本質を見る努力をしない人
 江戸時代末期の京都は当時の政治に中心地で、様々な情報が最も集まる土地だった。
 松平容保も様々な情報に接していたはずでえある。
 結局、そこで何をしていたのか?
 鎮圧している尊王攘夷運動がなぜ起こったのか、という問題を考えたことがあったのか?
 「国の在り方を変えなければ欧米列強の植民地になってしまう」という危機感が起こした活動だったのに、「国の在り方」についてどのように考えていたのか?
 「国の在り方を変える」運動なのだから、江戸幕府的なものは徹底的に排除されるはず。会津藩も「江戸幕府的なもの」に含まれることに気が付いていたのか?
 徳川慶喜はそれが分かっていたから、さっさと江戸城を明け渡した。
 松平容保は自分はどのようにすべきと考えていたのか?

◆情報収集の努力をしない人
 本質を見たいと思わないのだから、情報も必要ない。
 「八重の桜」でも、松平容保が他藩の情報収集・分析に熱心なシーンも出てこない。
 彼の価値観は、「江戸幕府に忠義を尽くす」で固まっていて、他の考えを取り入れる必要性を理解してなかったのかもしれません。
 もしかしたら、松平容保は部下から上がってくる情報を聞くだけで何も考えていなかったかもしれません。


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